MASUNO
このごろのもりまりこ

てのひらを器にしてその中に声を吹き込んでみる。
『はい』と。いや、今のはちがうからもう一度。
『ハイッ』とわけもなく、はりきってみせたりして。
だれもいない部屋で、指の隙間から漏れた声の欠片が
みもふたもなく消えてゆく。
わたしが学校嫌いだったのは、きっとあれのせいだ。
『出席をとります』っていうあれ。
名前よばれて、返事する。
このあたりまえの行為が、するっとできないのだ。
教師は返事しないと欠席にするぞと云って、
幾度となくわたしは、そこにいるのにいない人に
なっていった。
ときおり、勇気を出してみると、ふだんから出し慣れて
いないせいか、素頓狂な声になる。
『まえじまさん』が返事した後、どんどんのどの奥が
しめつけられてゆくのがわかる。
いつか、だれかに首しめられたら思うんだろうか。
ああ、懐かしいっ。この感じって。

そんなことはさておき。
名前よばれて、返事できないのは今もそうです。
母としょっぴんぐの待ち合わせをして、
その約束の場所にわたしが突っ立ってると、
彼女は、必ず名前を呼ぶ。
もう、なにがそんなにうれしいんだ、あんたって
いうぐらいに。
でっかい声で。てのひらひらひらさせて。
怪訝に振り向くサラリーマンなんかの視線は
ものともせずに。
だからわたしは目線で返事。
でもわたしはふと思う。そうふと思うのだ。
母ったらこうやって、なんの見返りもあてにせずに
わたしの名前を何度呼んだのだろう、と。

わたしにはいまのところ、まだにんげんの子を産んだ
試しがないので、じぶんのコドモを名で呼んだ経験は
ない。
でも。
瞳をぜんぶつむッてしまうと全身真っ黒けな
ふかふかですりすりでわがままなそやつの名を
はじめて呼んだ時のことならよく憶えてる。

猫なんか死ぬほどだいっきらいだったのに。
K子さんのちっちゃなからだの大きすぎるTシャツに
くるまれていた、そやつ。
彼にはあの有名すぎる猫と大違いで。
『なまえはすでにあった』。
黒いからクロン。
あの人だったらきっと眼鏡ずらしながら云うだろうか。
おごるでっ、しがしっ!って。

まだ好きでもないのに、
いつか好きになれるかどうかさえあやしいのに、
愛情こめて、名を呼ばねばならないという試練。
K子さんの帰ってしまった部屋にそやつとわたし。
8の字ダンスを足下で披露するそやつ。
わたしの行く手を塞ぐことが、たったひとつの
ノルマのように。
だからそれをやめさせるためには、とりあえず
名を呼んでみなくては、と。
がんばりました。
クがロにうまくつながってンまで辿り着くまでに
何度もフライングしました。
なかなか呼べませんでした。恥ずかしくって。
おんなひとりぐらし、猫と棲むって図もじぶんじゃ
ないみたいで。

だから彼の名をしぜんにするりと呼べる様になるまで
どれだけ時間が掛かったことでしょう。
ほこりがじかんの堆積の証であるように。
やっぱり時間が解決して情なるものが生まれたのです。
そんな『あぽすとろふぃーえす』な関係に
誰かと陥るまでには、この時間が必要なんだと。

もういまでは用もないのに、名を連呼して、
彼の睡眠妨害してみせるのはしょっちゅうで。
道の真ん中で彼をみつけたら、ぜったいでっかい声で
呼べるだろうな、今はそんな確信にみちみちています。
もちろん、愛すべきそやつはだんまりで、
わたしはぜったいシカトされてしまうんでしょうが。

時には名前なんて、たんなる記号なんだからと、
でっかくうそぶきたいときもあるのですが。
なんのためらいもなく誰かの名を呼んだり、呼ばれたり。
してみたいです。
つまり『ちゃんと名前も呼んで』だなんて。
魔がさすように椎名林檎してしまいましたが。
やっぱり、ちょっと健康的に愛されたいそんなじかんを
積み重ねたいなぁと思うこのごろのもりまりこでした!。


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2000-02-01-TUE

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