ほぼ日ニュース

「天上の音楽」が聞こえる?
シェイクスピアの音楽会プレトーク

こんにちは、ほぼ日の草生です。
ほぼ日の学校スペシャル「シェイクスピアの音楽会」まで
2週間足らずとなりました。
毎回熱い授業が繰り広げられている
シェイクスピア講座ですが、
第10回講義は受講生以外のみなさんにも
体験していただける「オープンスクール」です。
今回のテーマは音楽。
シェイクスピアのお芝居が初演だったとき、
グローブ座でシェイクスピアやお客さんたちが
聴いていたのと同じ音楽を、
当時の楽器であるリュートやヴィオラ・ダ・ガンバで
聴いていただくという企画です。
そこで、イベントの「プレトーク」として、
シェイクスピア講座講師である
河合祥一郎さん、松岡和子さん、
そして木村龍之介さんに、
音楽会の「聴きどころ」を語っていただきました。

――:
シェイクスピアにとって音楽は何だったのですか?

河合さん:
とても大切なものです。
天体の音楽(music of the sphere)という言葉が
あるのですが、シェイクスピアも
いろんな作品でこれを語っています。
当時の宇宙観は、地球が中心にあって、
太陽や月がそのまわりを動く天動説です。
この動く天体が音楽を奏でているけれど、
ふつうは人の耳には聞こえないと信じられていた。
『ヴェニスの商人』で最後に、
駆け落ちしたジェシカとロレンゾーが
夜空をみながら話すところにも出てきます。
「天体の音楽はふつうの人間には聞こえない」と。
この音を聞くことができるのは、
心の清らかな人だけなのです。
『テンペスト』の中で、キャリバンが
「この島には不思議な音があふれている」というのは、
彼の清らかさを表しているんですね。
天体とは神々のことで、
天体の音楽とは神々が奏でる音楽です。
日常の生活を超えて天体とつながる感動。
大宇宙と結びつく喜び。
これがシェイクスピアの世界観であり、
音楽観であると、ぼくは思うんです。

松岡さん:
たしかに、シェイクスピア作品には、
音楽の癒やしの力、生命を与える力が、
くりかえし出てきますね。
『リア王』のリアが娘のコーディリアと再会して、
目を覚ますときにも「音楽を」と言う。
狂って乱れた精神を音楽が整えてくれるんですね。

河合さん:
『ペリクリーズ』でも、
死んだはずのお后がまだ生きていると
わかったとき、医者がまず音楽を奏でさせる。
音楽を聞くなかでお后は蘇生します。
シェイクスピアはいろいろなところで音楽を
つかっているのですが、その考え方は、
野生の獣や人間の動物的欲望といったものが、
音楽によってしずまる。あるいは、
宇宙の調和を示すものとして音楽がある。
ある意味「文化の根本」として、
音楽をとらえているんです。

――:
音楽会では、まさにその
シェイクスピアの音楽に
生で触れることができるんですね。

松岡:
わたし、シェイクスピアを訳したり、
考えたりするときに、
シェイクスピアが見ていたものは何だろう?
何を聞いていたんだろう?
そういうことを考えるんです。
リュートは戯曲に何度もでてくるし、
シェイクスピアがリュートを聴いていたのは
間違いない。
『ハムレット』にもリコーダーが出てくるし、
なじみの楽器なわけですよね。
だから、シェイクスピアが聞いた音を、
同じ目線ならぬ〝耳線〟で聴けるというのが、
とても楽しみです。
プログラムの中に『オセロー』の劇中歌
「柳の歌」が入っているようですけれど、
まさにシェイクスピアも聞いていた曲。
当時、舞台で少年俳優が歌ったんでしょうね。

シェイクスピアが見たものを見たい!
と、最初に思ったのは、生まれ故郷の
ストラトフォード・アポン・エイヴォンに
滞在したときのことなんです。
ある朝、外に出ると、
朝露に濡れた芝生のすき間に、
小さなキノコが生えていたのを見つけました。
その瞬間、『テンペスト』の中で、
プロスペローが言った「ちいさなものたち」の
意味がわかったんです。
シェイクスピアはぜったいにこのキノコを
見たと思ったんです。
自然の営みは400年を経ても
そう変わっていないわけだから。
「これを見たからあのセリフが書けたんだ」って
心から思ったんです。

――:
シェイクスピアが見たもの。
シェイクスピアが聞いたもの。
音楽会でそれが追体験できますね。

松岡さん:
シェイクスピアと音楽でいうと、
もうひとつ言っておきたいことがあるんです。
こんどの音楽会は、
シェイクスピアの「時代の」音楽がメインだけれど、
シェイクスピアにインスパイアされた音楽
というのもたくさんあるんです。
バレエやオペラ、蜷川幸雄さんの舞台の音楽とか、
本当にたくさん。
たとえば、デューク・エリントンが
曲を書いていることなんて、
あまり知られていないでしょう。
Such Sweet Thunder
Star-Crossed Lovers
Madness in Great Ones‥‥
それぞれ、『夏の夜の夢』のヒポリタ、
『ロミオとジュリエット』のプロローグ、
『ハムレット』のクロ—ディアスのセリフから
とられたタイトルです。
どれも本当にすてきな曲です。
「シェイクスピアの音楽」には、
そういう広がりもあるということを、
わたしは言っておきたい!

――:
へぇ、知りませんでした!
エリントン、聞いてみたいです。
ところで、シェイクスピア講座のここまで、
どうご覧になっていらっしゃるか、
聞かせていただけますか?

木村さん:
他にはない空間だと思います。
日本だとシェイクスピアについて
考えたり学ぶと、教養っぽく小難しくなりがちですが、
そうではなくて、ひとつの文化というか、
「村のルール」みたいにして、
楽しく体感して学べる不思議な空間だと
思っています。
みんなでひとつのことを考える
豊かな空間ができていると思います。


★「シェイクスピアを何冊読みましたか?」の質問に
指で答える受講生。

松岡さん:
ジャンルを超えて、
これだけ多種多様なアプローチで、
必ずしも専門ではない立場からも含めて、
シェイクスピアを読むおもしろさは
抜群だと思います。

――:
松岡さん、皆勤賞ですもんね。

松岡さん:
だって、来れば必ず発見があるし、
考えていたことを確認できることもあるから。
受講生の熱気もすごいですよね。
前に立つと、
食べられちゃうんじゃないかと思うくらい(笑)、
みなさん本当に熱心です。


★ほぼ日の学校・河野学校長と談笑する松岡さん。

河合さん:
緊張感がある、いい場所になっていますよね。
ぼくはいま起きているのは、
「シェイクスピア現象」だと思っています。
40〜50年前までは、
シェイクスピア研究は西洋中心で、
英米の先生が書いたものを読んで翻訳していた。
ところがいまは、イギリスの学会でも、
世界各地でどうシェイクスピアが受容されて、
それぞれの地域でどんな役割を果たしているかが
研究対象になっています。
いま、私たちそれぞれにとっての
シェイクスピアとは何か、が議論されている。
そして、ほぼ日の学校のシェイクスピア講座は、
まさに、それぞれの先生方が、
「わたしにとってのシェイクスピア」を
熱く語ってくれる場所です。
この50年変動してきた
シェイクスピアの受容のあり方が、
いまここでひとつの頂点として
表現されているという気がします。
いま大事なのは、
The Shakespeare という
定冠詞のついたシェイクスピアではなくて、
ローカルな立場における
「わたしのシェイクスピア」。
それがシェイクスピア現象だと思っています。

――:
シアターカンパニー・カクシンハンで、
現代劇としてのシェイクスピアを追求する
木村さんは、まさに
シェイクスピア現象の寵児ですね。



★カクシンハンの俳優さんたちが
講義に協力してくださいました。

木村さん:
ははは。
ぼくにとって、ほぼ日の学校は、
「いいよ、遊んで」と言ってもらえる場所。
教室というより運動場みたいな感じです。
サッカーをするみたいに、
シェイクスピアで遊んで、
たまに教えてもらったり、
一緒にやったり、という感じです。

演劇がおもしろいなと思い始めたときに、
新国立劇場の芝居をぜんぶ見ようと思って、
すぐそばに住んだことがあるんです。
オペラから何から1年ぜんぶ見ました。
それで思ったんです。
「新国立劇場の壁はなんて高いんだろう」って。
それに比べると、
シェイクスピアはパッと入れました。
「入っていいよ」という空気があったんです。
ほぼ日の学校にも同じような空気を感じています。

――:
ありがとうございました。
7月の最後の講義まで、
ひきつづき、よろしくお願いします。

音楽会で演奏いただく奏者のインタビュー
「いにしへの音楽に魅せられて」
あわせてお読みください。

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